飾れない女・・・9・・・

団塊末子のつぶやき

ひまわり

ひとりの女のモノローグ・・・愛した男の幸せだけを望む女。育む愛でなく、女が生きていくための、必然でしかない愛、行く末は、やっぱり別れでしかない愛・・・。それが自分の不幸と引き換えだと、本能でわかっていても、生まれもった優しさ、素直さの感性のままに、身も心も全てを投げ出す女

「あんたなんか、どこでも行きな、もう、惚れてないからね」男にではなく、女が自分に言いきかす、寂しく切ない、それでいてハスッパだけど、温もりのあるつぶやき・・・。

「楽しかったよ、死んでしまえばよかったくらい・・・悲しかったよ、生まれてこなけりゃよかったくらい」ただ、ただ、男にすがってしか生きられない女にとって、男から与えられる喜怒哀楽こそが、生と死そのものかもしれない。

大空に届こうと、太陽に向かって、一面に咲き開くひまわり。茶色の芯を包んだ、あの真っ黄色な花びらが、太く伸びきった茎に、頭(こうべ)を傾けながらも、拡大な大地を、目の前一帯に広がっていく。無限な、その黄色こそが、女のほとばしる生命力。

戦争がひき裂いた男と女の物語。主演ソフィア・ローレン「ひまわり」のシーンと、テーマ音楽が、目の前にひろがってきます。そして、あの鉄道の駅での、別れと再会の数々のシーンが、浮かんできます。

一転して、白い砂浜に、止む事なく静かに打っては返す、波音が聞こえてきます。細かい砂に混じりあいながら、海辺に打ち上げられた、形を残さない無数のひまわりが、身も心もぼろぼろに、朽ち果ててしまったジェロソミーナと重なり、最後は最後は、大男が泣き崩れていく、大地の声が聞こえてきます。

イタリア映画「道」を連想しました。

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