咲く花匂い花倖の花
こんなに狭い ベランダーのプランター
夢みるように 誘うように咲いた
パステルピンク
名前も知らなかった あいつ
いっぱいお知えてあげた・・・ね
*「りんどう 浜木綿 ほととぎす」
ああ まぶしく光る
心もよう 想い出 匂い花
溢れるいとおしさ そっと抱きしめる
(台詞)
咲く花 匂い花 倖の花
もっと知りたい 花いろいろ
泣くほど惚れた あいつじゃなくて今
好きな人に 寄り添って暮らす
自分が不思議
あんなにそばにいた くせに
振り向いてくれなかった・・・ね
*「あやめ すみれ ゆり」
ああ 芽生える生命
名前のない ふたりの 倖の花
溢れるいとおしさ そっと抱きしめる
・・・そっと抱きしめる
作曲 三井淳平 編曲 隼トシヒデ 2009年
* あなたの好きな花の名前で歌って下さい。
団塊末子のつぶやき
咲く花匂い花倖の花
幼なじみのあいつ・・・今頃、どんな暮らししているのだろうか。山裾の小さな公園で、輪になって座り込み語り合った・・・様々なテーマで、人生、哲学、音楽、文学、話題は尽きなく未知の世界に向かって、不安や、空想、希望に、明け暮れていた仲間たち。
海辺の砂浜で、打ち寄せる波と戯れ合い、セーラー服のスカートを気にしながら、追い駆けっこした・・・湧き上がる歓声に、笑いと涙が止まらなかった仲間たち・・・そんな束の間、ふと二人きりになった時、私の胸は張り裂けそうだったのに、うまく想いを届けられないまま、卒業してしまった。
ひとりっ子どうしの同級生、心地良い陽だまり、香り立つそよ風、暑い日も寒い日も、あんなに傍にいたくせに、振り向いてくれなかった・・・あいつ。
身近に咲いている草や花、見上げる指先の星座、名前等をあてっこしたり、気ままなおしゃべりが楽しかった仲間たち。
私『青い山脈』のワンシーンを真似したつもりで「民さんは野菊のような人!政夫さんはりんどうよっ~」って叫んだら、一瞬、皆がシーンと静まりかえった後、大爆笑!顔が真っ赤になったあの日を思い出す。
そんな時も、あいつはすぐ傍にいたのに・・・それからのあいつはどんどん男っぽくなって、卒業間近かには背も高くなり、眩しくて弾かれそうだった・・・そうして、時間(とき)は知らん顔して、流れて過ぎた。
今 ・・・同じ間取りのアパートの、ベランダーに立っている私。向いの高層マンションの窓から、この住いは、どんな風に見えているのだろうか等と、他愛ない想いを巡らせながら、今日もプランターに水をやる。
こんな狭いベランダーで、健気に彩を競うように、活きている生命力の、一輪一輪の大好きな花を育てながら、普通に暮らせる、ささやかな倖せに、心優しくなり過ぎた自分を、苦笑いしてみる。
そんな私の躰(たいない)に芽生えた生命が、日々に育っていく確かな感蝕、空と大地の間で、呼吸する息の響きが、重なり合う瞬間のよろこび。まだ、名のない私の未来の児。これからだ!ゆっくりと、名前を考えよう・・・。
私の躰(からだ)に芽生えた生命。確かに感じる呼吸のひとつひとつに、名前を呼びかけてみる。
「あぁ、溢れる愛おしさよ・・・そっと、そっと抱きしめる・・・」
夕映えママのつぶやき
秘められたもの
団塊世代の中学・高校時代は、50余人数で12~13クラスの、マンモス校舎と言われていた。「右向け右」で皆が同じように足並み揃えていた。
中学は繁華街の少し外れの、静かな住宅街にあった。 高校は市内繁華街すぐ近くであったけれど、旧制第一中学だった校舎と敷地は、 歴史ある学び舎として、厳かに私達を迎え入れてくれ、居心地は悪くなかった。
中学・高校とも、問題になる事項もなく平穏だったと、記憶していたけれど、私が何も知らなかったのかもしれない。
男女共学で机を並べていたあの時代は、出席も男子が先に呼ばれ、女子は女らしく、男子は男らしくと教育され、体育の授業は男女別々に編成され、理数コースは男子、文化コースは女子が主流だった。そして、そこには秘められたものがあった。
私達女子は生理用品を、いかにして男子生徒に気づかれない様に、女子トイレに行けるかであった。生理(母はメンスとか、月経と言っていた)と言う言葉さえ恥ずかしかった。小学校高学年の時には、秘密げに女子だけ集められて、生理の授業を受けた。既に初潮の始まっていた女子は尚更に、トイレに行くのに気を使った。
あの頃は、初潮のある生徒は、5、6年生ではまだ数少なく、体育の授業等を休むと、女子同士でひそひそとしている感が、嫌な雰囲気だった。丸く巻き込まれた脱脂綿を開いて、切ってチリ紙にセットした、厚みのある生理用品は、とても存在感があり、取り扱いが大変でした。
そんな秘められた女子の思いを、テレビコマーシャルが時代を変えた。お洒落なナプキンを、テレビ画面いっぱいに見た時の、驚きと羞恥心・・・女性の秘められたものからの、自由と解放を、生理用品で歌い上げていくコマーシャル。
アンネの日記が、チャームなタンポンに移り行く時代に、団塊世代の末っ子の私達、テレビコマーシャルの画面いっぱいに、秘められたものへの開放シーンとして、遭遇してしまったのです。
そのテレビコマーシャルより、もっと驚き震えたのが、テレビ画面内で歌い弾けるふたりのアイドル、健康的でスマートでボーイシュだけど、すぐにでも女性に成長する匂いをたたえている、短いパンツ姿。いやらしさは感じないが『ピンクレディ』と言う名前には息をのんだ。行った事もないけれど、当時のキャバレーの、代名詞だったから・・・。
公の場で、水着姿を見たような・・・なにも、自分が恥じる事ではないのに、テレビに向かっている自分が、とても恥ずかしかった。