思い出
あなたに抱かれたあと またいだかれる
そしらぬ顔する ふたりの女です
それでもこころ ひとつだけ
愛にはかわりないのよ 夢をみただけ
夢をみたいだけよ 許してほしい
忍んでわびたい 気持ちがなお募り
あなたの胸に とけてゆく
ここだけ妻です
あたし 帰るところは
過ぎゆく年をかさね 男と女
いろづくもみじに 歩いた道おもい
あなたとともに これからも
夢みた思い出秘めて 生きてゆけるわ
作詞 団塊末子 作曲 シュー北村
編曲 高橋ヘイカ 2002年
団塊末子のつぶやき
昼顔
カトリーヌ・ドヌーブ主演の 『昼顔』が甦る・・・画面の中から耳元に聞こえてくる、細く澄みきった鈴の音「チ・リンリンリン」と・・・その音に誘われるかのように、真昼、秘密の館に出向き、娼婦となる上流階級の主人公。
・・・あの鈴の音が、私にもふと聴こえてくる瞬時、一瞬の身震いを覚える。女は誰でも、いいえ・・・人間は心の奥深くに願望として、抱いているのかも知れない・・・淫らな欲望と快楽の世界。
あの鈴の音は一体何だったのか?心をかき乱す音、それとも我に呼び戻される音、いや!我を忘れ去る音なのだ・・・昼顔として、咲くための音・・・。
東京に出て来たすぐの、19歳頃に観た映画だった。女子大の寮生活と、好きでもない学科の明け暮れ。男子生徒に囲まれていた、自由な校風の高校生活とのギヤップに、醒め果ててはいたものの、やっぱりまだ蒼い蒼い感性が、大人じみたスクリーンを求めたのか、現実からの逃避であった事には、間違いなかった。
思えば私はいつも、夢の世界で遊んでいた。経済性も生産性もない、深い眠りの中でみる、実体のない夢、目覚めた時には何も覚えてない夢、自分の存在は現実でない、眠りの世界に在るのではないか?・・・この現実にいる私は偽者なのだ、だから自分でない選択をしているのだと、来る日も来る日も惨めな自分を抱えて、それでもいつか爆発するぞ・・・と、醒めきった意識が渦巻いていたあの頃・・・そんな過去と重なります。
遠い昔の思い出はさておき、何故かふっと、ジャズライブで知った午後の「カラオケサロン 夕映え」に、意を決して行ってみたのです。
私、カラオケ苦手です。歌を人前でなど歌えない・・・そんな場に出食わすと、トイレに行ったりして逃げておりました。
元来が、何人かで行動したり、グループを組むのが苦手・・・自分のお部屋大好き、ひとりが大好き人間です・・・それなのに、どうしてわざわざ「カラオケ」に引き込まれたのか・・・今思えばとても不思議なのですが・・・。
昼下がりの「カラオケサロン 夕映え」は、常連さんらしきお客様の歌声が、止む事なく流れていました。男性女性、50歳位から80歳を過ぎた方もいて、ほとんどが演歌を楽しんでいました。
そして、それは、びっくりです。女性が真っ昼間から不倫の歌を、小舞台にあがって、前向いて歌っている「耐えます、忍びます、待ちます、捨てられました」等、ええっ・・・今の女性って、そんなに、か弱いですか?従順ですか?・・・ちょっと可笑しかったし、逃げて帰ろうか・・・とも思いました。
お馴染みさんらしき女性が「今のうちなのよ。子育てが終わってやっと自分の時間が持てたの・・・そのうち、介護が始まるでしょうからねっ・・・こうして「夕映え」さんに来れば、歌仲間ができるし、歌は本当にいいのよ」と、声をかけてくれます。皆さんの元気さに圧倒されてしまいました。
「何だか恥ずかしいなぁ、男好みの女を、堂々と人前で歌って・・・それも、ひと昔前の男と女?・・・」照れ隠し半分ですが、つい「夕映え」ママさんにつぶやいたのです。
「そうなのよ、私も同じ感じしてま~す。だから横向いて、やっているのよ・・・でも、ねっ!たかがカラオケ、されどカラオケなの・・・うふふ!」この夕映えママさんのセリフが、頭にやきつきました。
「うふふ!なんで?うふふなの・・・?」
ここから私の「カラオケサロン 夕映え」通いが、始まったのです。
夕映えママのつぶやき
イエスと答えて
フランス映画『昼顔』私も同じ頃に観ました。 広大な画面の奥にも、突き抜けていく空間を感じました。清涼で無色、灰のない肉のない色彩が広がり、やがて小鈴のゴールドが、反射した光に輝きながら「チ・リンリンリン」と、音を鳴らして、迫ってきます。
・・・同じ世代の、同じものを共有した思い出話、他愛もない瞬時の会話しか出来なかったのですが、私、団塊末子さんと、とても、とても感性が似ているみたい・・・と、感じていました。
私・・・カラオケやお店、自営業等という環境に、縁も興味もない日常でしたのに突如、湖畔の喫茶「トークサロン・夕映え」を開店する羽目になりました。平成2年の出来事です。
オープンすると序々に、各種のパーテイや会議、二次会等で賑う日々となり、絵画・写真展・俳句会・洋服展示会・各種ライブや、歌手キャンペーンのイベント、カルチャー教室も依頼され、幹事様の企画のもと、湖畔の集いがだんだんに広がっていき、お客様の要望でカラオケ機材までも入れて、平成7年頃には「カラオケサロン 夕映え」も、始まりました。
時代は、バブル経済崩壊後の流れの中でしたが、元気な現職者達、団塊の世代も、まだまだ活気に溢れていました。
「カラオケがないから、静かにお話ができるのよ」と、言っていたお客様が「あらっ、カラオケがあってもいいわ、よねっ」と、仲間を連れてきます。どんどん輪が広がりますが、私はカラオケで歌った事もなく、こんな昼間からいやいや、朝からも歌えるカラオケ店等が、ある事すら知らなかった・・・。
お客さんが参考の為にと、教えてくれる他の店に行く余裕もなく、来店するカラオケ大好きなお客様に、ひとつひとつを、教えて貰う毎日でした。
そんな中、裏街ブルースができて「歌作りって、楽しいわ・・・」と、団塊末子さんが、昼下がりの「カラオケサロン 夕映え」に、よく来るようになりました。
じっと、お客様の歌を聞いていた団塊末子さん「カラオケで歌った事ないの、流行歌も聴かないし・・・私、皆さんが歌う曲の歌手を知らないから、その歌の作詩・作曲者の名前ばかりみているの・・・」って、つぶやきました。
団塊末子さん、どこかしら、なにかしら気になっていましたから、他のお客様がいない、暇どきに来てくれないかなぁと、心待ちするようになりました。ゆっくりと、お話したかったのです。
あとで、団塊末子さんも、暇そうな時を狙っていたと知り、うれしかった・・・その暇どきでした。「バンマス北村さんの、作曲集CDの中の1曲だけど、この『思い出』を聴きながら、オタマジャクシ(五線譜)に、言葉を乗せてみたら・・・こんな詩ができちゃった・・・ジャズなのにねっ!」
「いつもここで、演歌ばかり聞いているからかなぁ・・・?」と、北村さんと楽しそうに、会話していました。
「バンマス北村さんは、プロの方だから」と、ライブでは遠慮しながらの、団塊末子さんだったのに、昼下がりの「カラオケサロン 夕映え」では、別人みたいに生き生きとして、楽しそうでした。
それから、だいぶ後です。お客様が歌う『イエスと答えて』を聴くたび、映画『昼顔』のシーンを、思い出すのです。