倖せひとり暮らし
ねぇ・・・ 少しだけ はなれましょう
でも おなじ空の下
蔵造りの街並み とおりぬけ
湖畔の夕映え 水面に輝いて
鳥たちも 明日にむかい羽ばたくのね
私 倖せひとり暮らしをしてみたい
ねぇ・・・ 少しだけ わがままさせて
この 生命(こころ)抱きしめて
もう一度夢みた頃に かえり
溢れる想いに 優しく包まれて
風や空 木々の声をききながら
私 倖せひとり暮らしをしてみたい
私 倖せひとり暮らしをしてみたい
作曲 三井淳平 編曲 隼トシヒデ 2008年
団塊末子のつぶやき
野菊の墓
中学1年・・・あまり友達がいなかったけれど、寂しくはなかった。授業が終わるとすぐに家に帰った。自分のお部屋が大好きだったのに、どういうキッカケで仲良くなったのかは、思い出せないが、Kさんと親しくなって、ド・ド・ドッと彼女にのめり込んだ時期には、帰宅がすっかり遅くなっていた。
3人姉妹の末っこの、彼女の大人びた知識や振る舞いに、被(かぶ)れた私が、変わっていく様を、何も言わないが心配顔で、しっかりと母に、みつめられていた日々だった。
放課後、彼女に貸した伊藤左千夫の本を、返してもらった時「この歌いいねっ」と、真面目な面持ちで口ずさむ歌は、本の裏表紙にひょいと書いた、私の走り書きだった。「えぇっ、そんな詩、私が書いたのかしら・・・?」すっかり忘れていた。
「いいねっ、この歌詩(うた)・・・」彼女の囁く声が「好きよ、あなたのこと」に聞こえた。小さな歌声だけど、はっきりと聞き取れたメロディー、私が書いた詩を勝手に歌う彼女が、憎らしかったけれど、彼女の才能に羨望を覚えながらも、どことなく心地よい快感もあった。
「あなたの少女趣味ねっ。そんなところがいいのよ・・・」と、言わない声が、私には聞こえていた。
彼女は家庭的に恵まれていない分、何でもが、大人の感性で行動できる人だった。彼女は、自分の環境の不幸や足りなさを、私に淡々と語り、私の恵まれた家庭や幸を、その都度に「いいねっ・・・」と、落ち着いた物腰で、教えてくれた。
詩など書いた事なかったのに・・・どうして、あんな走り書きしたのだろう。でも彼女に見つけてもらった事で、最初の詩の認識ができた。でなければ、残ってはいなかったと思います。
「ほんの戯れよ・・・」と、私、あの時、彼女の褒め言葉に、肩をすかせて答えてみせたら、格好良かったのに・・・そんな芸のひとつも出来なかった。彼女のうしろを、やっと、歩いていたのだから・・・。
野菊の墓 中1・・・秋
「民さんは 野菊のような人・・・」
白くかわいい花びらの 優しい香りの山道を
私はあなたと二人だけ 誰も邪魔などしないのに
それでもなぜだか気になって
ああ あなたは私の 怪我した指に
紙を結んでくれた人
淡いきれいな恋なのに どうして皆は悪く言う
大人に分からぬ初恋を たった2つの年上に
いくども幾度も涙して
ああ あなたはりんどう わたしは野菊
そっと寄り添い咲きたいの
別れはいやだと泣いたって どうにもならない二人なの
さよならさよなら好きな人 小雨の中に消えていく
心でつぶやくお別れを
ああ あなたも泣いてた 切ない別れ
河に浮かんだ舟がでる
1963年
夕映えママのつぶやき
抱(いだ)かれて
よく・・・私、身の上話を相談される・・・でもね、励ましの言葉をかければ、かける程、相手が納得すればしたで「お前は、偽善者だ」って、この胸がジワッと痛くなる。
私、自分の事だって分かっていない・・・毎日がアッと過ぎてしまい、すぐ明日になる・・・目の前の生活を、こなしていく事に精いっぱい。まぁ、こうして食べていけるのだから幸せだと思います。
「少し、天然?・・・」とも言われるけれど、私は根っからの楽天家だと思うし、人から悩み事相談されるつど、私って、なんて恵まれて生きて来たのだろう・・・って、今になって、もういない両親に感謝するの・・・。
話す事より、聴き上手だと思っていた私なのに、いつの間にか団塊末子さんに「あれ、これ」お話していたのでしょうか・・・・・その暇どきでした。
「こんな詩ができたの、あなたのお話きかせてもらって、すぐに書いたの」なんであんなに、おしゃべりしたのか、気になっていた時でした。「抱(いだ)かれて」私のハンドバックを持ってきた、別人がいたのです。
それからも又、団塊末子さんと暇どきの「カラオケサロン 夕映え」いやいや、お客様の来ぬ時には、2人のトークがゆきかう「トークサロン 夕映え」ですから、あれこれ、おしゃべりしてしまいます。
団塊末子さんも私も、この目の前いっぱいに広がる、伊佐沼湖畔の風景に抱(いだ)かれて、黄昏時の湖面を、一瞬だけ朱(あか)く染めながら、暮れてゆく「夕映え」が、大好きなのです。
「抱(いだ)かれて」と「倖せひとり暮らし」は、私のおしゃべりから、団塊末子さんが、書いてくれたものです。